『 生きるだけなら苦労しないけれど、充実した幸せな人生を送るには苦しすぎる。』
モノ、サービス、情報の飽和が、将来に希望を持てず鬱鬱としてしまう気持ちの一因ではないかとかわうそは考えています。
そしてかわうそも自分の人生に絶望感を持っている人間でした。
今は自分の好きなことが仕事になっていて、自分で自分の人生を少しずつ前に進めることができている実感があるので、幸せです。
そのような人生経験と時代背景から思うこと。
それは、日本社会は今、
『自分専用の幸せの正解が見つからない苦しさ』に直面しているのではないか、ということです。
『幸せの正解が用意されていた時代 』は終わった
世間や社会が正解を教えてくれていた時代は終わったのです。
戦後の敗戦国なので当然ですが、『より良い暮らしができること』が幸せに近づくための正解だったんですよね。
そしてこれはどの国民にも当てはまること。
『安定してお金が稼げること』、『高い収入を得る事』、『家族を持って仲良く暮らすこと』、『良い家電や車を買うこと』
安心や安全を確保すること、収入を得ること、物質的豊かさを求めることが、国民全体の方向性として明確だったわけです。
そしてその答えは、未だ根強く社会に落とし込まれています。
具体的には、
『良い大学を出さえすれば人生安泰だ』『大企業に入れば勝ち組だ』『結婚さえすれば女性としての幸せがつかめる』『国家公務員が最高』
このような考え方です。
『みんなの幸せの正解』が社会的な価値観になっていたのですね。
全てが間違っているわけではないですが、もう多くの人が気付き始めているんです。
時代の変化によって
『絶対の正解が用意されていた時代』が終わり始めていることを。
個人個人が自分の幸せの答えを探す必要がでてきたことを。
『自分専用の答えが欲しい 』
『 みんなの幸せの正解が用意されていた時代 』が終焉を告げると、『自分専用の幸せの答えが』欲しい人が増えてきます。
※この辺りは『マズローの欲求5段階説』が参考になるのですが、簡単にいえば人の欲求には段階があって、生存→安全→所属→承認→自己実現のステップで欲求がシフトしていくという仮説です。
人々は疑問に思っています。
『一生働くことが幸せなのか 』、『家を建て同じ場所に住み続けることが幸せなのか』 、『お金さえあれば幸せと言えるのか』、『結婚したことで得ることのできなかった幸せもあったのではないだろうか』
『絶対の正解』はもうすでに失われたことに気が付き、『自分専用の正解』を求めるのです。
しかしここには深い落とし穴があるのです。
その理由は2つあります。
- 『答えの探し方 』を訓練されていないこと
- 『飽和社会』であること
この2つが絡み合うことで、 『 自分専用の答えが見つからない苦しみ 』を生んでしまっているとかわうそは思うのです。
それぞれ説明していきます。
『答えの探し方 』を訓練されていない
まず私たちは幸せになるための『答えの探し方』の訓練は受けていないことを自覚するべきなのです。
それは『絶対の正解』に頼っていた代償です。
ほとんどの人間は、テストの点数さえ取れればよい、教科書の内容さえ覚えればいい、大企業の面接さえ受かればいい、そんな枠組みで生きてきたのです。
親の世代ほど『絶対の正解』を頻繁に使う時代を生きていたこと、学校教育そのものが、『絶対の正解』に辿り着くためのレールになっていることを考えると、現代の私たちがいかに無知で、経験不足であるかが理解できるかと思います。
中には、生まれた時から情熱を注ぐことのできる分野を見つけているような、『自分専用の答え』を持っている人もいたでしょう。
しかしそのような人はごくごくわずか。
私たちは圧倒的に知識と経験が不足しているのです。
失敗して当然です。
ここまで理解できたあなたは、どう思うでしょう。
『大学卒業後に再度専門学校に通う人』、『仕事を辞め、コストをかけず職業訓練で学ぶ人』、『転職する人』、『無職で海外を旅している』、『株で生活するニート』
それぞれの背景はもちろんありますが、『自分専用の答えを見つけた』から行動できた人、『自分専用の答えを見つけるため』に行動している人だとするならば、それはすごく素敵な努力なのではないかと思うんです。
『自分専用の答えを見つけるため』に行動して失敗して、知識と経験値をためる事ができる人は、『答えの探し方』を訓練できている人だとかわうそは思います。
答えが分からない状態はストレスです。それが人生の幸せに繋がる答えが分からないと、苦しい。
繰り返しますが、 私たちは幸せになるための『答えの探し方』の訓練は受けていないことを自覚するべきなのです。
『飽和社会』
冒頭でも書きましたが、モノ、サービス、情報が飽和しています。
これは『量的』にも『質的』にも飽和しているということです。
最大の問題点は『どれを選んでも失敗はしない』ことだと、かわうそは考えています。
モノであれば味と量、サービスであれば便利さと選択肢の数、情報であれば、スピードや信ぴょう性と、メディアの種類がすぐに思いつきます。
『どれを選んでも失敗しない』安心感は、現物と販売する人間を確認して購入するという文化を淘汰し、『Amazon』を生み出しました。
そして『Amazon』は生活のインフラにまでなってしまいました。
しかし『どれを選んでも失敗しないこと』が分かると、楽をしたくなるのが人間です。
『現状が維持できるのであればそれでいい』『生活が最低限できるのであればそれでいい』『これで生きれるならそれでいい』
『自分専用の答え』を探す必要はないけれど、生きていくことはできる体制が整ったのです。
しかし、そこに自分の意思や考え方がないのであれば、ペットやロボットと同じではないでしょうか。
社会に飼いならされないためには『 自分専用の答え 』を手に入れる努力をしないといけないけれど、すぐそこには『自分専用の答え』を用意しなくても、生きていくことのできる世界が密着しています。
『自分専用の答え』を探す訓練は意識をしないと鍛えられない社会になりつつあるのです。
かわうその答え
就活、仕事、転職、人生で悩んできて、分かっていることが1つあります。
それは『答えはあるのではなくて、自分で答えを作っていく』ということです。
『自分はどうしたいのか』、『自分はどのように生きていきたいのか』、『自分はどうありたいのか』こんなことを自分に問い続けるのです。その答えがきっと『自分専用の答え』です。
だって探したけれどなかったから、自分で作るしかないのです。
『答え』さえ分かれば、あとは行動するのみ。
少なくともかわうそはこの繰り返しで、望む職に転職し、心から愛する人と結婚(婚約)し、自分の長所も発見し、正しく成長できていて、自分の力で人生を前に進めている充実感を得ることができています。
『答えはあるのではなく、自分で作る』
答えがない苦しみからの解放者は、自分で答えを作るんだという覚悟でした。
かわうその場合はね!
まとめ
僕たちは『自分専用の幸せの正解が見つからない苦しさ』を抱えていると言いました。
それは
- 『答えの探し方 』を訓練されていないこと
- 『飽和社会』であること
が原因だと考えていることも説明しました。
まとめると、
幸せになるためには『自分専用の幸せの答えが必要』だと気づいているが『自分専用の答えを探す』能力は鍛えられていない。それどころか持っていなくても最低限生きていくことのできる『飽和社会』であることが、苦しみを生んでいる。
そしてかわうその見解は、抽象的ですが
『答えは用意されていない、自分で作る』まずその 覚悟を決める。
『自分はどのように生きていきたいのか』を自問自答し続ける。その正直な自分の気持ちが答えである。
その答えが現実になるように行動する。
ありがとうございました。